2010/04/20

-第7号-

新年度がスタートしました。母校教職員も、小坂新校長を始めとする多くの新しい役員の方々が就任され、心機一転、新たなキャンパスづくりに、私たち同窓会も実践を共にしつつ、寄与して参りたいと思います。

先日、桜満開の中、母校入学式に参列して参りました。同窓会長として、今年で7年継続して参列させていただき、時が経つのは早いものだと、つくづく感じた次第です。式典では、吉例による「建学の精神」の解説が、総長式辞と学校長告辞の中でありました。私も、あらためて拝聴する中で、大いなることに気づかされました。

何かと申せば・・日本の象徴である天皇家に纏わる「三種の神器」です。

三種の神器とは、天皇の即位に際し、神器の内、剣と鏡と勾玉(天叢雲剣:あめのむらくものつるぎ、八咫鏡:やたのかがみ、八尺瓊勾玉:やさかにのまがたま)を帝が所持することが、日本の正統であると伝えられています。

「剣」は、稲作刈りや狩猟をするための道具(兵器でない)であり、「鏡」は、自らの姿を映しながら、己の心と向き合うことを意味しているそうです。つまり「剣」は、身体をつくるため象徴であり、「鏡」は、魂を磨くための象徴であること言われております。我々はこの双方を「食と瞑想」という形で、普段の生活に得ることができます。

それでは「勾玉」は何でしょう?ある恩師は、宝石であると申しております。宝石は地中奥深くから採掘され、自然の法則の中で見事に生成し、その美しさゆえに、王族や貴族から重宝されてきました。しかし古来では、神官や御仏(如来・菩薩)は、必ずと言って良い程、勾玉のような装飾品を身につけていたことを、史跡や像や絵画から窺うことができます。つまり地球から採掘できる勾玉(宝石)は、単なる装飾物としてではなく、宇宙との共振するための授かりものとして、身につけていたと理解できるようです。より自然に近かった昔の人の方が、宇宙意識や感性が豊だったのかもしれません。(近年では宝石をタンスの“こやし”にするそうですが・・MOTTAINAI!笑)

さて、東海大学の「建学の精神」である『若き日に、汝の「思想を培え」「体躯を養え」「智能を磨け」「希望を星につなげ」』をあらためて覗いてみると、体躯を養うことが「剣」であり、思想と智能の研鑽が「鏡」であり、希望を星につなぐ(宇宙とシンクロする)ことは「勾玉」であり、まさしく「三種の神器」であると、私は解釈しました。このような素晴らしい「精神」の下で、学業やスポーツに勤しむことができた有り難さを、卒業30年後にして気付きました。是非、現役の生徒諸君は、神器と共にあることを胸に、日本人として、そして東海大生であること誇りとし、宇宙意識を持って活躍して欲しいと、切に願うものです。

創設者松前重義先生は、地球を超越した“宇宙人”だったのかもしれませんね。

-拝-

戻る
ページトップへ